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本懐


日露開戦が不可避となったとき、伊藤博文は側近で貴族院議員の金子堅太郎に米国出張を命じました。
戦争が長期化する前に早期停戦に持ち込むために、アメリカの世論を味方につけてほしいとする伊藤の要望に対し、
己れの微力では・・・、とちゅうちょする金子を懐柔するために、こう述べたといわれます。

「・・・今度の戦(いくさ)に日本が確実に勝つという見込みをたてている者は一人としてありはしない。・・・・
・・・しかしながら打ち捨てておけば露国はどんどん満州を占領し、朝鮮を侵略し、ついにはわが国家を脅迫するまでに暴威をふるうであろう。
事ここに至れば国を賭しても戦うの一途あるのみ。成功不成功などは眼中にない。
・・・かく言う伊藤はもしも満州の野にあるわが陸軍がことごとく大陸から追い払われ、
わが海軍は対馬海峡でことごとく打ち沈められ、いよいよロシア軍が海陸からわが国に迫ったときには、
伊藤は身を士卒(しそつ)に伍して鉄砲をかついで、山陰道か九州海岸において、
博文の生命のあらん限り露軍を防ぎ、敵兵は一歩たりとも日本の土地を踏ませぬという決心をしている。
また、(北条)時宗がその妻女に命じたように、飯を炊いて兵隊をねぎらうよう、わが妻女にも命じ、
夫婦ともども九州の長門(ながと)の海岸に赴き、奮闘してみ国のために身をなげうつ覚悟じゃ。
博文の地位も財産も生命も、みな天皇陛下の贈り物である。
君も同様ではないか。君も同じ精神で大いに働くべきではないか」


今太閤」とよばれた元老・伊藤が、日本が負けるようなことがあれば自分は一兵卒となって生命を投げ出す覚悟を表明したことに
金子は大いに驚き、心ゆさぶられました。この伊藤の覚悟こそ、当時の日本人の心意気をよく示しています。

この項、『教科書から見た日露戦争』(勝岡寛次・監修、展転社刊・2004年)を参照させていただきました。