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管理人が見た映画のコメントをつらつらあげてゆこうと思います。

管理人は決してハイレベルの鑑賞眼の持ち主ではありません(むしろその逆^_^;)。
おまけに好みがかなり(ひどく)かたよっています。
「こんなふうに思うやつもいるのか」くらいに寛大に読みとばしてくださいませm(__)m。

あゝ零戦  哀愁  嵐が丘
           
 
外人球団  刀ブレード  カルメン  吸血鬼ノスフェラトゥ  けんかえれじい  国姓爺合戦
           
少林サッカー  新選組  新選組始末記  新・平家物語  
              

テス  ドラキュラ

日本海大海戦

ひまわり
              
鑓の権三              
              
    
                                                                               

あゝ零戦  65年 大映

  あの隊長もあの戦友(とも)も
  壮烈 空に散ったのに
  不覚や俺はまだ生き延びて
  椰子の葉陰で月に泣く
  戦友(とも)よ偲べよこの心


この作品は素晴らしい。
特攻隊をあつかった映画で95年(終戦50年・・・ということで、
名作からトンデモまで多数の戦争映画が製作された年、らしい)
公開された「ウィンズ・オブ・ゴッド」、本作を鑑賞するまでは
洒脱でそれなりにいいと思っていたけれどとんでもない、本作と比較すれば失礼ながらまるでマンガ(・・・っていったらマンガに失礼かも。せいぜいイタズラがき程度)、それほどに感動のつぼを凝縮した佳品だと思う。
 ラバウルからラエ基地に、新米飛行士が着任するところから幕が開く。主人公の夏堀中尉(劇中、大尉に昇進)を若き日の長谷川明男が好演。元気で快活な若者が、幾多の戦闘と友軍の死を経て一流のパイロット、有能な連隊長に変貌してゆくさまをかなしいほどにまぶしく演じている。
 圧倒的な物量を誇る米軍の前に次第に収奪されてゆく制空権。パイロットの個人的力量では太刀打ちできない。本土空襲もくりかえされ戦局はすでにどうしようもない段階にきている
。それでも戦わなければならない。祖国のため、故郷のため、「戦後」も生きてゆく人々に次の時代の希望をつなぐために。
 飛行士、整備員たちの零戦への愛。上官に叱責されたあと、殴打ではれあがった頬を零戦の翼で冷やす小柳徹の少年飛行兵。敵空襲で炎上する零戦に慟哭する。絶望的な戦況のなかで、日夜死闘が淡々と続く。夏堀大尉は南洋の基地を転戦したのち、九州に呼び戻され、神風特別攻撃隊の隊長を拝命する。しかもそのあとは横須賀に転属が決定している。夏堀のパイロットとしての手腕を惜しむ上層部の采配であった。
 しかし夏堀は部下を死なせて自分だけ生き延びることをよしとせず、命永らえて本土決戦にそなえるようにとの上官の通告をふりきってみずから特攻を志願する。まさに「男の中の男」とよぶにふさわしい。出撃直前、郷里から届いた身辺を気遣う優しさにあふれた手紙に、「お父さん・・・」と目頭を熱くする鬼大尉。多感な青年の素顔が垣間見える。北国の故郷に遅い春が訪れ、一瞬画面に大写しになる満開の桜。若くして散華した特攻隊員たちのイメージがかさなり、月並みといわれようが大いに泣ける。縦横無尽に暴れまわり幾度となく凱旋した空、かくして夏堀隊長は戦闘隊を率いて二度と帰らぬ空戦に出陣してゆく。
・・・個人的には、この作品をぜひ小中学校で上映してほしいと思う。時間もそれほど長くないし、偏向した厭戦反戦平和教育よりもよほど平和の貴さや命の大切さ、戦争回避の道を考えるきっかけになると感じるのですが・・・(意見の違う方、どうか攻撃しないでください、お願い<m(__)m>)(苦笑)。

  敵のグラマン戦闘機
  高角砲も雨あられ
  命を的(まと)に戦う吾(われ)は
  大和魂伊達(だて)じゃない
  愛機もろとも体当たり


※基地着任そうそう、命令無視して空戦に飛び入り参加しちゃった長谷川明男が、隊長の本郷功次郎にどやされる場面、ネットサーフィン中に聞きかじったのだけど、「ガンダム」のワンシーンにこれとそっくりな箇所があるらしい。

「馬鹿者!勝手に戦場に飛び込んでくるなど、もってのほかだ 
「しかし、私は敵機を2機もやっつけました」
「のぼせるんじゃない!」
「しかも初めての空戦であります」
「貴様の腕じゃない零戦が強いからだ」・・・うんぬんの場面。

・・・残念ながら私はアニメファンでなく「ガンダム」も通して見たことはないので確認できないのですが、ひとつの作品が完成するまでに別のいろんな作品に影響されるのだな、としみじみ感じました。

 ※小柳徹円谷英二監督に見出された名子役で、当時円谷氏が特撮監督を務めた東宝の戦記もの「ゼロ・ファイター」や「山本五十」でも好演している。奇しくも円谷監督が亡くなった同じ69年、20才の若さで交通事故死したという、夭折のおしまれるひと。

 ※本作品を鑑賞して村山三男監督に興味がわき、同氏がメガホンをとられた大映の戦争映画「あゝ海軍」「あゝ隼戦闘隊」と続けて見ました。いずれも佳作ですが、よりエンターテイメント色が強くなっている印象をうけました。    



哀愁  40年 米                  

古典的なメロドラマの名作。ヴィヴィアン・リーロバート・テイラーの美男美女コンビにはもうなにもいうことなし、完璧です。
美しいヴィヴィアン。この名を目にするたび、胸の昂ぶりがおさえられない、というとおおげさですが、誓って私、30数年生きてきて(笑)、ヴィヴィアン・リーほどに美しいひとを見たことがございません(^◇^)。
学生時代、今は無き大阪・梅田の映画館コマ・シルバーおよびコマ・ゴールド(マニアックな佳作や古典的名作をよく上映していた)に「風とともに去りぬ」を見ようと通いつめたっけ・・・。それもこれも、ヴィヴィアンを見たいがため(^^)。
・・・でも個人的には「風とともに去りぬ」より「哀愁」のほうが好きだったりするのです。作品としてのスケールははるかに及ばないのですが、儚げで不吉なまでのヴィヴィアンの美しさをもっとも良くとらえていると思います。
空襲警報のなか、ロンドンのウォータールー橋で運命的な出会いをして恋におちる大尉とバレリーナ。彼の出征と、やがて戦死の公報。バレエ団も解雇され、絶望と貧困から身をおとしてゆく彼女、しかし実は・・・、ヴィヴィアンは肉感的というより上品な美女で、プリンセスや女王に扮しても遜色ない気品をそなえているのに、なぜか娼婦役もぴたりとはまるのは驚きです。
 この作品は日本では戦後まもない49年公開され、多くの人々の紅涙をしぼったそうです。戦争で焼け出され、売春に身を堕とさざるをえない女性の不幸が身近なものであった当時、ヴィヴィアン扮するヒロインに同情と共感の涙が集まったことは想像にかたくありません。それにしても、戦死したと信じていた恋人と再会し、スコットランドの郷里に戻って晴れて結婚するやさき、汚れたわが身を恥じて彼女の選んだ結末は・・・、現代なら、愛する人を失ってひとり生き抜いてゆくためにした彼女の行状もさして責められないし、目の前の幸せをそんなにはばからなくても・・・、と思ってしまうのですが、当時は違ったのでしょうね(;_;(もちろん、ドラマだからこそ悲しく美しいのであって、当時でも現実を生きる人々はもっと貪欲でたくましかったことでしょう(^_^;))。
 ともあれ、このメロドラマに私はなぜかヴィヴィアンの実人生がだぶってみえてしまうのです。お互い家族のある身であるにもかかわらず、かけおち同然で大恋愛のすえ結ばれたローレンス・オリヴィエヴィヴィアン。シェイクスピア劇の舞台で共演し、世界的な名声をほしいままにしながら、幸せな時期は長く続かず、やがて訪れた別離・・・、まさに彼女の人生こそ一篇の美しい悲劇だなあと戦慄してしまいます。美人に生まれなくてよかった(単なるヒガミかもしれませんが(>_<))。 



嵐が丘  39年 米

文芸ものの名作。お互いの配偶者をすてて結ばれたローレンス・オリヴィエヴィヴィアン・リーは、醜聞うずまく母国イギリスから、映画出演要請のあったハリウッドへと新天地をもとめます。結果は成功と賞賛でした(^^)。
嵐が丘」は何回かリメイクされていますが、いちおしはやはり、このオリヴィエ版だと思います。原作は二世代にわたる荒涼たる愛憎の物語なのですが、あえて一世代、キャサリンとヒースクリフの狂気じみた関係にしぼっているところがむしろ作品をそこなわず、まとまっている所以です。
映画はヒースクリフのキャサリンに寄せる狂おしい愛情が、愛するキャサリンはもとよりヒースクリフ自身をも滅ぼすという、ドラマの核心がはっきりしていますが、原作はもっと複雑で難解です。ふたりの愛憎のドラマは、多分に観念的で、男女の仲なんてジャンルではくくれません(昔読んだときは私が子供だからわからないのかと思っていましたが、いいトシになった今読んでもやっぱりわからない、ワタシのおつむの弱さがバレてしまいますが(^_^;)・・・)これは原作者のエミリー・ブロンテの実人生の投影かもしれません。彼女は30年にみたない短い生涯をほとんど片田舎の牧師館にひきこもって過ごし、恋愛はおろか家族以外の人間と接触する機会もなかったといいます。経験によらず自意識のみで築き上げられた作品世界が、通俗的な現実の「愛」から隔離しているのはやむをえないことでしょう。
 オリヴィエとヴィヴィアンは、「嵐が丘」に夫婦で共演することを希望していたそうですが、これは適わず、ヴィヴィアンは同時期に撮影中の「風とともに去りぬ」ヒロインのオーディションをうけることになります。かくて「映画史上に残る名作」が誕生したわけですね(^^)。マール・オペロンはいかにも高慢なお嬢様の雰囲気でキャサリンの適役です。



外人球団  86年 韓国       

李賢世(リ・ヒョンセ)氏の本をはじめてみたのは大学の生協書籍部だった。晶文社から刊行されていたと思う。
」(ゆみ)、戦前の日本統治時代の韓国における抗日パルチザン?がテーマで、「反日」はなじめなかったけれど、疾風怒涛のような情念、暗い情熱みたいなものを感じた。(こんなすごいひとがいたなんて!)
毎日書籍部に通った。つまり買うお金が惜しくて立ち読みをしていたわけです(うーんせこい(@_@;))。あの当時の書籍部の店員さん、ごめんなさい<m(__)m>。
 李賢世氏は当時から(もちろん現在も)韓国トップクラスの劇画家だったが、「鉄人28号」等日本の漫画を愛読して育った世代らしい。時代も設定も異なるけれど、氏の主要作品の主要キャラクターは主人公が「オ・へソン」、ライバルが「マ・ドンタク」、ヒロインが「オンジ」と命名されているようだ。「」と「外人球団」もこの命名は共通している。
外人球団」(韓国の「外人」とは外国人をさすのではなく、アウトロー、はみだし者の意味で使用されているという)は80年代に大ヒットした氏の同名作品の映画化。卒業して長い長い時間がたち、立ち読みの記憶も薄れた頃、レンタルしてみた。この原作は見ていないけれど、やはり得体のしれないエネルギーを感じさせてくれた。想像だけどたぶん原作に(かなり)忠実につくられているのではないかと思う。
 貧しく育ったオ・へソンは幼馴染のお嬢様であるオンジに信仰にもひとしいような純愛をささげている。子供の頃から「は君が望むことならなんだってできる」が口癖になってしみついている(どこかで聞いたことがあるような・・・と思ったら、「愛と」の岩清水君にそっくり(*_*))。成長し高校野球のピッチャーになったヘソンの前にライバルの強打者、マ・ドンタクが立ちふさがる。オンジドンタクに惹かれていた。最終回、へソンの決め球はドンタクにあっさりホームランされる。やがてドンタクは名門プロ野球球団に入団し大活躍、弱小球団にスカウト外で入ったへソンは一軍の試合に出場、試合は勝利するものの肩を破壊して野球生命を断たれる。
  オンジドンタクと婚約するが、球団オーナーの令嬢と浮名を流したりしておさまらないドンタクの素行に胸を痛め、傷心をかかえてへソンに急接近する。そんなときやはり球界をはみだした鬼監督・ソン監督が出現、いったんは野球をあきらめたヘソンと親友のトゥサンを拾って無人島に連れ去ってしまう。集結したのはやはり球界アウトローの選手たち。アストロ球団もかくやと思わせる地獄の特訓がはじまる。ここが一番のクライマックスだと思うが、荒唐無稽でとにかく熱い。足枷をはめたままランニング、遠泳、沼地をはいまわり泥水をすすり、生きたままの蛇に狂喜してかぶりつく。野球とどうむすびつくのかわからない猛特訓の結果、へソンたちは「恐怖の外人球団」に変貌、派遣スタッフまがいにプロ球団に寄生し、あれよあれよという間に怒涛の快進撃で50連勝かせいじゃう(いくらなんでも(*_*)・・・とつっこむのはこのさいヤボかもしれない(^_^;))。
 しかし、へソンが無人島で猛訓練に明け暮れている間にオンジドンタクと結婚していた。再び現れたヘソンに動揺するオンジ。彼女は次第に壊れてゆく。そして、韓国シリーズでドンタクとの宿命的な対決が迫る・・・。
 とにかく熱く、溶岩のようにどろどろしたエネルギーを内包した映画。カメラアングルとかよくみると低予算映画らしきチープな作りも目に付くが、音楽もいいしストーリーが熱いのでほとんど気になりません。オンジ役の女優さんは往年の吉沢京子をほうふつとさせるような儚げな美人(^^)。鬼のソン監督に扮するアン・ソンギは韓国のトップスターらしい。へソンオンジの愛は・・・、どうも純愛もゆきすぎると妄執になるようだ(>_<)。なんだかオンジと結婚したドンタクが気の毒になってくる。結婚前に多少のよろめきはあったにしても、結婚してからはなにも悪いことしていないのに、奥さんは壊れるは、赤ちゃんは流産するはと不幸つづきである(@_@;)。
 ラストは結構衝撃的だったりする。実際は皆不幸なんだけどへソンオンジにとっては「ふたりだけのしあわせ」をはじめて感じていられるのかもしれない。「ヘソン、私もこれからあなたが望むことだったらなんでもする

「・・・堅く抱きあう二人を遠くから見届けるとドンタクは明日に向かって車を走らせた」←評論家の宇田川岳夫氏によれば、これが原作のラストシーンらしい。うーんパチパチ(^_^)。

※うーん原作が読んでみたいな(^^)。今「韓流ブーム」だっていうし・・・○ーニングかア○○ヌーンあたりで版権とってくれたらうれしいかも(^^)。



刀ブレード  95年 香港

香港のスピルバーグと称される徐克(ツィ・ハーク)の異色作。主演ふたりは人気シリーズ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」のレギュラー陣で、「ワン・チャイ」シリーズの師弟コンビがここでは仇敵同士を演じている。
北斗の拳」ばりに「力」のみが支配する混沌と動乱の時代。趙文卓扮する刀鍛冶の青年は、ふとしたことから父の仇の存在を知り、形見の折れた刀をたずさえて刀匠の館を出奔しようとするが、彼を追ってきた師匠の娘が夜盗に襲われたのを知り、彼女を救おうと引き返すものの敵の攻撃に片腕を失う重傷を負い、生死不明のまま忽然と消えうせる。辛くも生き延びた彼はやがて健康を回復し、全てをあきらめたかのように身を隠して静かに生活していたが、親の仇の「全身刺青の男」の風評をおりおりに聞き、胸中にくすぶっていた敵討ちの未練が再燃する。身をひそめていた集落が夜盗の襲撃をうけ焼き討ちにあう。崩れた土壁から剣術のテキストを見つけた彼は(このご都合主義な発見はなんだろう?)片腕で折れ刀をふるい、猛特訓に励む。再度襲来した夜盗の一団に独りで立ち向かい殲滅した彼は、村人から畏敬をうけるが、胸の火は消えない。夜盗を屠った隻腕の男のニュースは風のようにほうぼうの賊集団に伝わる。そのなかには例の刺青の殺し屋もいた。
 仇敵を探す旅の途中、やはり彼を探していた刀匠の娘たちと再会するものの、自分だと明かさない。再び賊から救われた刀匠の娘は、父の厳命で連れ戻される。刀匠の館にも賊の襲来は迫っていた。クライマックスの趙文卓熊欣欣とのバトルシーンは息を呑む迫力で一見の価値あり(そのリアリティーは俳優さんが実際に負傷しちゃったほど、凄かったらしい)。ストーリーそのものはよくわからなかった。でもアクション映画にありがちな、ドラマが重んじられていない感じ、とも違う。善悪や正義といったモラルはくずされ、原始的なほどにキャラクターは饒舌に泣き叫び、怨み、狂う。こわいくらいインパクトがあり、強烈に見る者の心に焼き付く。この太古のダイナミズムみたいな原風景、どこかでみたことがある・・・、と思ったら、白土三平氏の劇画の強烈な作品世界になんだか通じるものがある・・・ような気がした(それは違う、と思ったかた、ごめんなさいm(__)m)。 
 刀匠の娘はなんだかトンデモなキャラだ。すべてのトラブルの元凶なんだけど、引き起こした事件のわりには喰い足りないとゆうか(^_^;)・・・、ヒロインにしては際立った活躍もしないが、ことあるごとにパニックになりすぐ泣き喚く。自分は愛されかしずかれるのが当たり前、だけど自分のためになにかしてくれる相手に尽くそうとは(見事なくらい(^◇^))しない。思い通りにならないとすぐヒステリーを起こし、周りをさらに窮地に追い込む、典型的な「お荷物キャラ」、まあでも演じる女優さんがとっても可愛いから許しちゃう(^^)、なんか「オヤジ」と化してるワタシ(*_*)(>_<)。
 ラストはそれなりに悲劇的。見事、父の仇討ちを果たした片腕の青年は、結局とどまることなく刀匠の娘のもとを去ってゆく。得意の「泣き」攻撃で地団駄ふんでひきとめりゃ良かったのに・・・、と外野は思うけど、そうしたけどそれでも往っちゃったのかもしれない(だとしたらカワイソ(*_*))。
 「でもときどき彼らは戻ってきてくれました」そう・・・、彼女の夢の中で。夢のなかの彼は、うれしさのあまり抱きつく彼女を片腕で抱き寄せて幸せそうに笑っている、ほんのつかのまの幻影。・・・、かつて作業する大勢の刀鍛冶で活気に満ちていた刀匠の館、今は誰もいない。ひとけのないがらんとした庭を通り過ぎると、建物の縁側で年老いた刀匠の娘が独り、アヘンのパイプをくゆらせている。「・・・次に来てくれるときはもう少し長くいてくれることを願って」・・・ゆらゆらたちのぼるアヘンの煙のように、人生もまた一期の夢。美しいラストシーンだ。

※本作は70年代の人気作「片腕ドラゴン」(今や伝説のカンフースター、ジミー・ウォン主演)のリメイクだそうだが、お話はまったく違うらしい。ツィ・ハーク氏は子供の頃見て、好きだったのかな?

※主演の趙文卓は香港、中国、台湾で活躍中のアクションスター。流麗なアクションのみならず、物腰に気品があり、今後もどんどん活躍してほしい人。今のところ代表作は香港の人気長編武侠(日本でいうところの時代劇+α?)劇画の実写版「風雲」だと思うけど、現代劇にも大いに出てほしい。期待大◎(^_^)v。

熊欣欣は同じく中華圏の人気アクションスター。悪役も三枚目役もこなせる器用な人(^^)。

※ちょっとしか出番の無い夜盗の頭目のひとりは長髪のものすごい美形で一瞬はっとする(名前存じあげない(^^))。 同じくほんの少ししか出ないゆきずりの娼婦もあだっぽく美しく、ひきつけられる(モデル出身の人気美人女優らしい)。ぜいたくな俳優さんの使い方だと思うけど、計算された視覚効果かな?



カルメン  83年 フランス・イタリア

プラシド・ドミンゴ見たさに借りてきた(笑)、忠実に再現された歌劇映画の傑作。ドン・ホセを演ずるにしてはドミンゴは分別くさく、堂々たる中年の恰幅ではあるが、世界的テナーの素晴らしい歌にはただ聞きほれるのみ(^^)、無駄なせんさくはいらない。対するカルメンのジュリア・メゲネス・ジョンソンは艶っぽいというよりむしろ可憐なタイプで、澄んだソプラノもまた愛らしい(実際に本人の歌唱か吹き替えなのかは不明(*_*)、むろん歌は最高である(^^))。ルジェロ・ライモンディー扮するエスカミリオの闘牛士の歌も痺れさせてくれる。これぞスペインのジプシー美女カルメンの世界、ビゼーの音楽の世界。
 スペインの乾いた風土の映像美。カルメンはじめ登場する女性たちの装いは、ゴヤ描くところの「マハ」をほうふつとさせる(^^)。とにかく、予定調和を楽しみたい。

※同じく83年、スペインでもフラメンコの鬼才アントニオ・ガデス主演で「カルメン」が製作された。こちらは現代スペインの舞踊団で「カルメン」上演のため稽古に励む劇団の人間模様がいつのまにか劇中劇とシンクロしてしまうプロット。大役に抜擢された美しい新人に熱心に指導するベテラン振付師。いつしか恋におち、溺れる。しかし彼女にはやがて刑期を終えて出獄してくる夫がいて・・・。フラメンコ好きにはこたえられない一本。その昔、NHK教育テレビで放映されているのをたまたま見て、惹きつけられた。

※最新の「カルメン」は2003年のフランス映画。メリメの原作に忠実な、時代設定も19世紀初頭を再現したはじめての作品だという。ビデオレンタル化が待たれる(^_^メ)(●^o^●)。「語り手」として原作者プロスペル・メリメ氏も堂々登場するらしい(^^)。んー楽しみ。



吸血鬼ノスフェラトゥ 22年 ドイツ   

サイレント時代の傑作。20世紀最高のドラキュラ役者だった(あの手塚治虫先生も絶賛した(^^))クリストファー・リーをして、「最高の吸血鬼映画」と言わしめたという。ここで登場する吸血鬼ノスフェラトゥは端正なドラキュラ伯爵とはおよびもつかない、まがまがしい姿(というのかどうか?)。スキンヘッドに「スタートレック」も負けそうなとがった耳、落ち窪んだ眼に獰猛な犬歯、おどろおどろしい長い爪・・・、当時のスタッフがこれでもかといわんばかりに怪奇的造形に熱心だったにちがいない、と想像できる。でもあまりこわくない('_')。時代の差なんだろうけど(^_^メ)。たとえばいま現在、夜の盛り場にこんなひとがいたら、子供でも怖がらないどころかお笑いの対象になっちゃうかもしれない(>_<)。あ、でも深夜に部屋の明かりを消して独りでこっそりビデオ再生して見たら、そこそこ怖いかも。
 ストーリーはブラム・ストーカーの原作「吸血鬼ドラキュラ」に沿っている。舞台はロンドン→トランシルバニアではなく、ブレーメン→トランシルバニア、ドイツ映画ならではの選択だろうか。ブレーメンの海岸で、帰らぬ夫を独り待つ美しい新妻が悩ましい。吸血鬼オルロック伯爵は依頼をうけてブレーメンからはるばる来訪した弁理士フッターの新妻の肖像に邪恋する。「奥方か・・・、なんと美しい」棺に身をひそめて船の積荷にカモフラージュし、ブレーメンに来訪する吸血鬼。航海中、夜な夜な目覚めて船員たちを毒牙にかける、ブレーメンに帆船が到着したときは無人船だった。そして美女にせまる悪鬼の影。本体がないままにスキンヘッドに鷲鼻、長い爪ととがった耳でそれとわかる吸血鬼の黒い影が壁をすーっと動いてゆく、映画黎明期の特撮は秀逸で○(^^)。怖いというより叙情的である。                                      

※監督のフリードリヒ・ムルナウはドイツ表現主義を代表する俊英。27年渡米、いくつか秀作を発表するものの31年カリフォルニアで交通事故死。42才の若さだった。戦中戦後を通して、ぜひハリウッドで傑作を撮ってほしかったなと惜しまれる。

※79年西ドイツ(当時)でリメイク製作された「ノスフェラトゥ」、こちらはクラウス・キンスキー(「テス」のナスターシャ・キンスキーのお父さん)、イザベル・アジャーニのスター共演がみどころ(^^)。キンスキー扮する醜怪な吸血鬼に対してアジャーニの美しさが際立つ。まさに「死と乙女」の頽廃的イメージに◎(^^)。



けんかえれじい  66年 日活

鈴木清順監督の出世作にして、青春映画の快作。ひたすら泥くさく汗臭く滑稽で物悲しい(^_^メ)。昔々、昭和10年頃、岡山中学に「喧嘩キロク」こと、南部麒六という名物男がおりました・・・。下宿先のお嬢さんの道子さんは天使のような慈愛でもって獰猛な喧嘩キロクを矯正するべく、情操教育にとピアノを教えようとしたり、する。実のところキロクちゃんは道子さんを熱愛しているのだが、硬派を自負するためおくびにもだせない。愛を表現できないもどかしさを、喧嘩で発散しているのだ。
 公開当時、物議をかもした(らしい)キロクちゃんのピアノのシーン。道子さんへの切ない思いにかられつつ、いわゆる「3本めの足」で道子さん愛用のピアノの鍵盤をたたき、苦悩のあまり大真面目にキリストにざんげしているのがなんともおかしい(*_*;「ああ、我なしてかかる罪を犯せしか」(;_;。
 下宿までの帰り道を道子さんと一緒に歩いているところを折り悪く硬派グループ「OSMS団」の首魁タクアンと出くわしたことが発端となりグループ二派にわかれて大果し合いをする羽目になる。あわやというところでとびこんでくる警察署長の制服を
着た人物。グループは雲散霧消、呆然と対峙するキロクちゃん。「お父さん」・・・、道子さんの亡くなったお父さんは警察署長で、果し合いを察知した道子さんが大事になる前にとキロクちゃんのお父さんに連絡したのであった。お父さん曰く、「道子さんは命の恩人じゃ」そしてキロクちゃんはなおいっそう道子さんへの崇拝を深めてゆく。
 ・・・どうでもいいけどお父さん、危機に駆けつけられるくらい近所にいるなら、なんでわざわざキロクちゃん下宿させてんの?
それもよりによって未亡人と娘さんと女性しかいてへん家に。年頃の美しいお嬢さんのいてはる家に、キロクちゃんみたいなんおいといたら危ないやん(^_^;)。下宿の奥さんもよう断らなんだもんやで(^_^メ)。・・・いやいや、これはお父さんの情け心かもしれない。天使のような道子さんに鼻つまみの喧嘩キロクを調教してもらい、あわよくば懇ろになってキロクちゃんのお嫁さんになってくれれば・・・、とお父さんがそこまでもくろんでいるのなら、全て納得がいく(^_^)。そうなればまことに願ったりかなったりなのだが、幸せな日々は長く続きませんでした(/_;)。
  キロクちゃんは教練の時間、硬派グループを象徴するワッペンをいっぱいぶらさげたちんどん屋まがいの格好していたことから当直将校と衝突、中学も転校せざるをえなくなる。軍部独裁色が強まる暗い時代、当直将校に逆らうなんて自殺行為であった(この当直将校のふんぞりかえった演出もとても笑える(^_^;))。かくしてお父さんのありがたい親心?もむなしく、キロクちゃんは会津の叔父さんを頼って会津・喜多方中学まで流れてゆく。道子さんはキロクちゃんとの別れを悲しみ、いつまでも泣いていた。
 会津の叔父さんは立派な人だ。学校のことも「まあいれもんはどおでもええ、問題はながみ(中身)だ」、でてくる大人は(当直将校をのぞき)皆いちおう立派な人ばかりである。どんな乱暴者であろうと、おおっぴらに大人に反抗できるようになったのはやはり戦後からであろうか。・・・転校したクラスの様子、おとなしい先生は舐められ、コワモテの先生の前ではねこをかぶる、このあたりは今も昔もあまり変わらないようだ(^_^;)。
 キロクちゃんは会津でもやはり喧嘩からぬけられない。対立する会津中学のグループ、昭和白虎隊(ほんとに白虎隊みたいな扮装してるのが可笑しい)からも目をつけられる。キロクちゃんのもとに喜多方中学の硬派が集結し、大喧嘩の果ては・・・、キロクちゃん側の圧勝であった。そうしている間にも時代は暗いほうへと流れてゆく。喧嘩に明け暮れるキロクちゃんが友人と立ち寄ったカフェで見た謎めいた男。なぜかキロクちゃんはひとめで魅せられてしまい、忘れられない。
 ・・・昭和白虎隊がらみの大喧嘩のせいで謹慎処分のキロクちゃんを、岡山からはるばる道子さんが訪ねてくる。別れの挨拶であった。長崎の修道院に入ることが決ったのである。シスターにならないでくれ、自分のお嫁さんになってほしいと懇願するキロクちゃんに泣き崩れる道子さん。彼女は子供を産めない体という、つらい告白をする。・・・哀切なシーンだが、道子さんも男恋しさに遠い道中を来ていながら・・・、「あたし、キロクちゃんが好き」と愛の告白までしておきながら、「追ってこないで。あたしひとりで帰る。(追って)きたら、あたし死ぬ」はないだろう(-_-;)。
 吹きすさぶ雪。冷たい冬の空。キロクちゃんは悲しみに沈む。久しぶりに登校する朝、駅がなにやら騒がしい。東京で大事件があったらしい。2・26事件の号外が貼られている。首謀者の顔写真のアップ、(あのひとが・・・、)キロクちゃんが惹きつけられた例の男は北一輝であった。戦争前夜の暗い時代、もはや平和に喧嘩(というのもおかしいが)などできなくなりつつあることを匂わせる。
 ラストは唐突だ。えっこれで終わり?という感じ。東京にはもっとスケールの大きいことが待ち受けているだろう。キロクちゃんは突然上京を決意する。監督は続篇の構想を練っていたらしい。残念ながら実現しなかったようだ。
 ・・・この作品、70年代の学園ドラマやマンガにすごい影響を及ぼしていると思う。本宮ひろ志(読んだこと無いけど(^_^;))とか、「愛と誠」を筆頭とする梶原一騎氏原作なぞは特に・・・、ずっと殺伐としてはいるが(・_・)。乱暴者だが根は純情で寂しがりやの主人公(そんなひと本当にいるんだろうか?(゜o゜))と崇高なまでに美しく、聖母のように気高く慈愛にみちたヒロインはいっときの少年マンガの王道だったように思う。

 ※高橋英樹、同じくらいの時期に「伊豆の踊り子」で吉永小百合が憧れる知的な一高生に扮してなかったっけ?役者さんはいろんな役作りしないといけないから大変だな(^^)。「男の紋章」シリーズが見たいけど、DVD化されないかなー(^^)。

 ※ヒロインを演じた浅野順子はこのあと大橋巨泉氏と結婚して引退。んーうらやましい(^_^;)。



国姓爺合戦  2001年 日本・中国 

モデルになった人物は同じく日中の混血児鄭成功であるが、近松門左衛門の同名の戯曲とは残念ながら関連はない。
ストーリーもオリジナルで、史劇とはいうもののあくまでエンタテイメントだ。封切当時、映画館まで見に行きたくて迷ったけど、結局時期をのがしてしまった。で、ビデオレンタルでみた感想は・・・「わざわざ映画館までいかなくて正解だった」いや、失礼<m(__)m>。
 繰り返しになるがエンタテイメントとして見ればそこそこ楽しめる。鄭成功率いる水軍など大迫力のスペクタクルシーンだ(^^)。こちらが不勉強で中国史にくわしくないせいもあり、歴史劇としてはいささか説明不足な気がする。まず前半は、明の再興を誓い明に忠誠を尽くす決意がかかれているが、後半にはひたすらオランダからの台湾奪回作戦となり、明の再興とどう結びつくのかよくわからない。つらい気持ちを押し隠して清に帰順したかつての親友を討ち取り、明を見限って清を選んだお父さんと涙の別れをする、このあたりがじっくり描かれているだけにこの事績が台湾攻略とどうつながるんだかよくわからなかった。前半は清、後半はオランダが敵役である。
 清の皇帝が鄭成功の情報をきき、「もまた中国人だ。オランダ軍は台湾から追い払ったほうが良い」と鄭成功の動きを黙認する場面。つまりこれは「台湾=中国(シナ)」という現代の政治的主張がもりこまれているのでしょうか?(^_^;)。とすると、台湾が同じテーマで撮った作品と見比べてみたい気がします。
 主人公のお母さん役で島田楊子が出演している。にもかかわらず、「日中混血」というコンセプトが生かしきれていない。映画の予告編には「アジアを救った日本の英雄がいた」と大きくクレジットされているのだが、ストーリーにはまったく影響がみられないのだ。ま、ここは素直に映画を楽しんだほうがよいか。
 水霊扮するヒロインはオランダ圧政下の台湾からの避難民。鄭成功の母、田川まつに拾われ養女、鄭成功の義理の妹となる。架空の人物ではあるが、以後彼女は鄭成功のそばを離れない。鄭成功には正夫人がいるので愛する鄭成功にその思いを告げることもなく、つつましやかに控えている。このあたりはなんとももどかしい。史実では鄭成功はこの時代の英傑の例にもれず、四人の正妃のほかに無数の妻妾がいたらしい(^_^;)。本音で語れないのは「大陸」の影響だろうか。しかし、このもどかしさが実はラストシーンで生きてくることになる。
 オランダの虜囚となっている名軍師を救うため、ヒロインは単身台湾に潜伏する。軍師の姪というふれこみで彼を出国させることに成功するが、身代わりに捕らわれてしまう。軍によるオランダ総督府城攻めの場面。敵総督の盾にとられた彼女は攻撃を指揮する鄭成功と見つめあう。この場面の美しさ。言葉ひとつかわすわけでもなく、ただ眼差しのみで全身全霊をかけた男への愛を表現する。・・・そして彼女は自害、要塞は陥落し、国姓爺鄭成功は台湾を征服する。
 クライマックス?のオランダ副総督と鄭成功の一騎うち。それなりにかっこいいが、お話には余計だったかも(^_^;)。趙文卓にとっては十八番の活劇シーンだが、鄭成功ともあろうものが、カンフーアクションを炸裂させるのはあまりいただけない(^_^;)。
どうせなら剣術の殺陣で魅せてほしかった(西洋流フェンシング対東洋の刀、なんてミスマッチで面白い)(^^)。

 ※島田楊子はやはり美しい。鄭成功を演じた趙文卓とは実際に親子でも通るほど年の開きがあるはずだが、二人並ぶと正妃役の女優さんや水霊にもひけをとらない美しさで、お母さん役どころか本当に奥さん役でもいけそうな感じ(^^)、うらやましい(^^)。

 ※ヒロインの水霊(は改名で、「国姓爺合戦」ではジアン・チンチンとクレジットされている)は台湾出身。趙文卓と台湾のテレビドラマで何度も共演、こちらでは濃厚なラブシーンもあったりするらしい(^^)。東洋版マストロヤンニソフィア・ローレンのような名コンビかも(^^)。
                          
 ※ネットで拾った情報なのですが、本作の撮影と同時期に、台湾のプロダクションがやはり「鄭成功」の映画を、あの「ラストエンペラー」のジョン・ローン主演で撮ったそうです。ビデオレンタル、ならないかなー(^◇^)。



少林サッカー  2002年 香港

痛快無比というコトバがぴったりくる、すかっと笑える映画(^^)。サッカー界の黒幕につきぬ怨みをいだきながら、今は落魄したもと名選手が不思議な青年とめぐり会う。人間離れした脚力をもつ青年は少林拳の修行者だった。彼は人気スポーツ・サッカーによって少林寺拳法の普及につとめるべく(ものすごい着想(@_@;))、かつて少林寺で修行した兄弟弟子を招集する。破天荒なチームが誕生し、あれよあれよと全国大会で進撃を続ける。その先に待っているのはサッカー界の黒幕率いる最強チーム・・・、といってしまえば単純だけど、そこまでにいたるプロセスが大いに笑わせてくれる(^^)。
 エキストラのひとりにいたるまで、怪しげで笑える。美しい女性に対するヒドいあつかい(虐待とかじゃなくて・・・、まあ実際に見てください(^_^;))、「火星に帰れ、地球は危険だ」もいい(●^o^●)。監督・脚本・主演の周星馳(チャウ・シンチー)のセンスが大いに光る。
 全体を通してアストロ球団的荒唐無稽ぶりは、「外人球団」にも通じるものがあるが、「外人球団」と違ってとにかくはちゃめちゃに明るい。その意味で貴重な作品だと思う。・・・それにしても、少林寺で修行して超人的な技を身につけた人たちが、なぜそろいもそろって社会の最底辺でほそぼそと暮らしてるのか(あ、ひとり証券会社のヤンエグで、携帯片手にがんばってた人がいたけど)(;_;)、こんなことが気になるのはトシのせいかもしれない(>_<)。
 キーパーが「死亡遊戯」のブルース・リーの格好してるのがイカしている(^^)、負傷退場のシーンで「死亡遊戯」の音楽がかかるのもグッド(^^♪。



新選組  70年 東宝

「世界のミフネ」こと、三船敏郎主演・製作総指揮となれば、いやがうえにも期待が高まる(^◇^)。東宝オールスター総出演時代劇(^^)。新選組ファンには絶対にみのがせない。「新選組」を知らないひとでもこの映画を見ればひととおり「新選組」がわかる(^^)、とても明快で懇切丁寧な作品。
 武州多摩で剣で天下に名をあげたいと夢見て励んでいた道場主の近藤勇は、志を同じくする土方歳三、山南敬助ら門人たちとともに幕府の募集する浪士組に加わり、上洛するも清河八郎の詭計に同調することなく、宙ぶらりんで京都に残留する。なんとか京都所司代・松平容保の監察下におさまってその名も「新選組」とあらため、市中警護の任務に励む。新選組を近藤一派の統率とするべく、土方は奸計をめぐらし、筆頭局長の芹沢鴨の暗殺に成功、近藤勇局長は名実ともに新選組に君臨することとなった。討幕運動派をいっそうきびしくとりしまり、池田屋事件で京都の町を救ったことで新選組はピークを迎える。入隊希望者もふえるが、内部粛清も苛烈になってゆく。近藤勇の心をつかのま安らげるのは落籍した御幸太夫あらためお幸、その妹お孝はかつて討幕派の恋人を近藤に斬られ、細腕で近藤の命をねらうがあっさりかわされ、諭される。土方の陰険な策謀家ぶりに、結束を誇った近藤一門もゆらぎはじめる。大幹部山南の脱走と捕縛、脱走の理由を問われて「いやになったからだ」と臆せず答え、毅然として自刃。新たに新選組に参加した伊東甲子太郎(田村高)一門、実は尊皇派の伊東は幕府がすでに風前の灯火であることを見抜いており、自らの野望に新選組を利用する手はずであった。しかし看過した土方の策動により、伊東はあっけなく斬られる。幕府はもはやどうしようもないところまできていた。幕府に対抗する薩長同盟はあろうことか天皇家の象徴である錦の御旗を手中におさめ、今や「官軍」を名乗る。鳥羽・伏見の戦いで幕府軍は大敗、新選組も多数の犠牲を出す。やむなく江戸に戻った近藤たちは甲府を戦略の基点として佐幕派の勢力をもりかえすべく、甲州にむかうが、ここでも敗れる。官軍は西洋式軍備で最新鋭兵器に身を固めている。刀ひとすじの武士の美学はすでに通用しない。会津に赴き戦いを継続することを主張する土方に対し、近藤は憑き物が落ちたかのように戦意を喪失し、投降を決意する。土方はじめ残党を脱出させた後、官軍に従容と出頭する近藤勇。官軍副参謀の有馬藤太(中村錦之助)は近藤の人となりに心うたれ、助命嘆願するが、新選組に怨み多き参謀本部には通用しない。板橋の処刑場にひきだされた近藤勇の表情は穏やかで、一点の曇りもない。その胸に去来するのは武士の夢か、新選組とともに全力疾走した京の日々か・・・。
 ・・・ここで三船演ずる近藤勇は、最後の最後まで徹底して「いいひと」です。したがって近藤勇を「いいひと」にするために、細かい部分はかなり史実が変えてあります。大筋は歴史にそっていますが・・・、70年は東映がテレビドラマ「燃えよ剣」を栗塚旭主演で製作、第一次新選組ブームに沸いていた頃と思います(^^)。いやー、三船はやっぱりかっこいいです(^◇^)。熱い「男の生きざま」にしびれます。
 単に粗暴なわけではなくて、水戸天狗党の挫折経験から懊悩して酒色におぼれる芹沢鴨を佐藤浩市の父上、三国連太が熱演。愛人お梅役の野川由美子も擦れた美しさが役にぴったり(^_^)。小林桂樹の老獪な土方歳三、聡明で常識人ゆえに新選組から浮いてゆく山南敬助を中村梅之助が好演(^^)。池内淳子星由里子の美人姉妹、三船の映画には欠かせない(^^)司葉子の「武士の妻」近藤勇の正妻「おつね」役は絶品です。美しさのみならず、愛する近藤勇への思いを一途につらぬく女性たちのキャラクターはすがすがしく、好感がもてます。北大路欣也扮する沖田総司は・・・、健康的でとても病人には見えません(*_*;。ちゃんとお医者にかかっているし、医者の娘との淡い心の交流もあったりするわけですが(^_^;)。この作品の沖田は病死ではなく、鳥羽伏見の戦で奮戦して戦死という設定になっています。勘定方・河合の悲痛な処刑の場面。最後まで浅ましく逃れようとするのが、毅然と処断に臨む山南の最期と対照的でいっそう気の毒です。それにしても、昔の俳優さんは存在感が違いますね(^^)。時代劇の所作や殺陣など、おそらく駈出しの頃から訓練されつくしているのだと思います。演出や脚本もしっかりしているのでしょう。たとえどんなに突飛な内容であろうとも(笑)、昨今のドラマのようになんのためにそうゆうことしてるの?みたいなふにゃふにゃしたキャラクターがでてこないので、安心して見ていられます。

※あえてけちをつけるなら、最後の斬首の場面。あそこまでリアルをねらうことなかったんじゃないの?個人的にそういうのが苦手なせいもありますが、へたに写実的だとドリフのコントみたいに、かえってお笑いにみえてしまう(*_*;(>_<)。

※最近DVDが出たそうです(^^)。DVDもレンタルになるといいなー(^◇^)。



新選組始末記  63年 大映

鞍馬天狗が十八番の市川雷蔵が、一転ここでは新選組の山崎蒸に扮している。京都の浪人・山崎蒸は尊敬する近藤勇にあこがれ、彼を慕う医者の娘・志満の反対をふりきって新選組に入隊するが、策士・土方歳三が采配して筆頭局長・芹沢鴨を騙し討ちのような形で暗殺したことから批判的になり、組織の中で浮いた存在になってゆく。はからずも土方の奸計にのせられてアンチ新選組の役人を斬ってしまったことから山崎は奉行所に追われるはめになり、負傷して潜伏中、志満と再会する。土方は山崎の粛清を主張するが、近藤は潜伏を機会に勤皇派の探索をするようにと指令することで助命をうながす。やがて山崎は勤皇派の黒幕・古高俊太郎の隠れ家をつきとめる。敵の集合場所は池田屋にあり・・・、そして壮絶な池田屋事件。・・・凱旋する新選組のなかに、今や大功労者の山崎蒸の姿もあった。凱旋に歓声をあげる京の町衆のなかに、悲しげな志満がいる。山崎の潜伏中は明日をも知れぬ身とはいえ、彼女にとってはふたり一緒に過ごせた至福のときでもあった。
・・・、今やふたりは明らかに違う世界の住人となったことを暗示しつつ、映画は終わる。
 雷蔵映画にしては珍しく、雷蔵があまりめだたない(^_^;)。山崎蒸という役どころもあるだろうか。監察(スパイ)ってめだっちゃいけない仕事だもん。近藤・土方コンビの若山富三郎(ここでの芸名は城健三朗)・天知茂がいいです。特に天知茂(若い!古い映画だからあたりまえだけど)はその二枚目ぶりに冷酷さと陰険さがどんぴしゃり(ワルいほめかたかも(*_*;)で、策謀家・土方歳三はすばらしいはまり役(^◇^)。典型的な和風美人の藤村志保は、医者の娘で自身医学を勉強中の知的な役にぴったり(^^)。本来、時代劇のお姫様役がもっとも似合うひとだと思います。気になったのですが、新選組に反発するお役人って・・・、内山彦次郎?

※「もし・・・」「・・・たら」は不毛ですが、雷蔵扮する土方歳三、ぜひ見たかったです(^◇^)。



新・平家物語  55年 大映

吉川英治の原作を溝口健二監督で映画化した傑作。原作に忠実な映画化だが、青年・平清盛が武家政権をめざすところで終わっているのが(原作ではほんの冒頭の部分)ちょっと惜しい。青春・平清盛の決定版であると同時に、若き日の雷蔵の出世作として有名。雷蔵=清盛のイメージがわかなかったのだが(雷蔵は典型的な二枚目だし、清盛って「若さ」のイメージと結びつかないし(^_^;)・・・)、やはり百聞は一見にしかず、雷蔵は生き生きと若武者を熱演している。動く絵巻をみるように美しい映像に溝口監督の手腕が冴える(^◇^)。
 朝廷から西国攻略の命をうけ、大任を果たして京に凱旋する父・平忠盛、しかし家計は苦しく、活躍した郎党たちをねぎらうために馬を売ってしのがなければならない。久しぶりに帰宅した父を冷ややかに迎える母、「あなたは伊勢の田舎育ちで、どんなむさくるしい貧乏も平気でしょうが、わたくしは身内もみな都育ちです」父は奔放な美しい母にアタマがあがらない。子供たちは両親の不仲をやや冷めた眼で観察している。これじゃあ清盛くんが屈折するわけだ(>_<)。
 忠盛の恩賞に口ぞえしたために、藤原氏一門の末端にある藤原時信卿が謹慎処分となった。慰問に訪れた清盛は、時信の娘・時子にひかれる。貧乏公家の所帯をあずかる時子は、貴族の姫らしからず、下女にまじってかいがいしく染物などこなす堅実な女性であった。お母さんと対照的なタイプに惹かれるわけね?(^^)。さらに清盛は悪友や出入りの商人から自分の出生の秘密を聞き愕然とする。母は父と結婚する前、白河上皇の寵愛する白拍子で、その権勢ゆえに「祇園女御」と称していた。上皇は彼女を忠臣・平忠盛に賜り、月足らずで清盛が産まれた。さらに上皇が彼女のもとに通っていた同時期、八坂の悪僧も通いつめていた。それを知った上皇が憤慨し、身重の彼女を忠盛にゆずったという。自分はご落胤か、悪僧の子かと問う清盛に忠盛は動じず、「お前は私の子だ」と言い放ち、端然と微笑む。このお父さんはたいした大人物だ(^_^;)(もっとも、高貴の人と女性を共有することが、当時は誇らしい風習だったという)。・・・ささいなきっかけから、お母さんはついに家を出て行ってしまう(これだけ驕慢でコケットリーにみちた美人が、清盛くんが立派な青年になるまでまがりなりにも家にとどまっていたほうがむしろ不思議だ(゜o゜))。出世した忠盛は昇殿を許される身になるが、これを喜ばない貴族たちは闇討ちを計画、かねて清盛に好意的な藤原時信は注進する。清盛は闇討ちしようとした一派を一網打尽にするが、注進したかどで時信卿は藤原一門を追放された。清盛は時信一家を我が家にひきとり、晴れて時子と結婚する。平穏な日々が続くかに見えたが、義弟の藤原時忠が延暦寺の僧兵といさかいを起こしたことが契機となり、僧徒の大軍勢が清盛家を潰そうと押し寄せてくる。混乱のさなか、忠盛が謀殺される。僧兵の無道に怒る清盛は僧徒らがあがめて掲げる神輿に矢を放ち、神仏の祟りなど無いことを立証した。清盛は馬駆けの帰途、家を出た母を見かける。お追従の貴族たちにとりまかれて女王然とした母に静かな反発を燃やしつつ、清盛は貴族政権打倒を決意した・・・。
  ・・・お母さん役の小暮実千代があやしいまでに美しい。清盛のお嫁さんになる時子の久我美子すらかすんでみえる(^_^;)。くやしくても本作のヒロインはまぎれもなく小暮実千代だ(^◇^)。 

※「新・平家物語」はNHK大河ドラマ化もされていますね(仲代達也の平清盛)。「武蔵」といい、吉川英治はやはり人気がありますねー(^◇^)。そういえば10年ほど前に放送していた「NHK人形時代劇・新・平家物語」がもういちど見たい(^^)、再放送してくれないかなー(^^♪。 



テス  79年 イギリス・フランス

80年日本公開。中学生のときはじめて見に行った(笑)管理人にとっては思い出の映画(^^)。ヒロイン・ナスターシの若さ輝き立つような美しさも含め、イングランドの農村風景の描写に「きれいな映画だなー」とうっとりさせられた(^_^)。感じやすい子供の頃見た感傷もあってか、今も冒頭の田園風景を見ると胸騒ぎをおぼえる(^^)。ハーデの原作には「清純な女性」という副題がついているらしい。さもありなん、どんな艱難辛苦にもまれても、生一本な純粋さを失わないのはテスが誇り高い女性であるからだろう。オバサンになってから見ると(^^)、テスを見まう過酷な運命よりも、テス自身が愛したふたりめの男に腹がたつ(^_^;)。なにしろヴィクトリア朝の因習とモラルにがんじがらめにされていた時代である(また一方では金持ちの男に積極的に寄生して愛人になる若い女性がひきもきらなかったという)。革新的で進歩的な青年も、処女でないというだけで愛がさめるほどに、しょせんは器の小さい人物でしかない(原作者の強烈な皮肉がよみとれる(*_*;)。
  ・・・奉公先の御曹司に手篭めにされて妊娠、しかも赤ちゃんは出生後まもなく亡くなってしまうという悲劇、暗い記憶を忘れようと新天地をもとめて働きに出た農場で好きになった相手からプロポーズされ結婚、しかし結婚初夜に正直に過去を告白したとたんに夫は冷淡になり、彼女から去る。父親が亡くなり困窮した家族を救うため、再びかつて拒絶した御曹司の庇護をうけざるをえない。後悔し、彼女の許しをもとめて夫が迎えに来たときは全てが遅かった。そして・・・。
 ・・・無責任なこと言うと、「・・・なにも殺すことはなかったのに」(*_*;(>_<)となっちゃいますが・・・計算ができないのがテスの清純なゆえんでしょう(^_^メ)。彼女が擦れた女性なら、パトロンの道楽息子をうまく言いくるめて今までのプレゼントやらありったけのお金、めぼしいもの全部持って愛する男に奔るとか、こざかしくたちまわれたでしょうに(*_*;。ついでに殺されちゃった最初の男もちょっとかわいそうですね、このひとなりにテスを大切に思っていたわけですし(^_^;)。
 ナスターシャ・キンスキーは公開当時、その魅力的なルックスで「バーグマンの容貌にブリジット・バルドーの肢体をあわせもつ大型新人」と絶賛されました(^^)。現在はすっかり落ち着いた大人の魅力あふれる女優さんになりましたねー(一番上の息子さん、もう20歳こえてるのかな?)。でも彼女の長いキャリアの中でも、「テス」に匹敵する作品ってまだ巡り会ってないようです。
※田園風景の美しい「テス」ですが、実際のロケは全部フランスで行われたそうです。びっくり・・・、特にラストの有名なストーンヘンジの場面、あれがセットとは(゜o゜)・・・。

※映画の冒頭に小さく「シャロンにささぐ」と字幕が出ます。ロマン・ポランスキー監督の亡き愛妻シャロン・テートが生前「テス」をぜひ演じたいと希望されていたそうです。私にとって「テス」はナスターシャ以外考えられませんが、あるいは美しいシャロン・テートの代表作になっていたかもしれないですね。運命の無常(;_:)。  



ドラキュラ  79年 アメリカ

制作費4000万ドル、当時の吸血鬼映画としては空前の費用がかかったという。そういえば日本で封切られたとき、ずいぶん派手々しく宣伝されていたのを子供ながらにおぼえています(^_^;)。しかも「ホラー」でなく、「恋愛ロマンス」として喧伝されたのがミソ。なるほど確かに幻想的でロマンティックな雰囲気だが怖くない、吸血鬼もロマンスになっちゃうと怖くなくなるのね?
安心して見てられるけど怖くない吸血鬼映画はちょっと残念です。
 ルーマニア経由でドラキュラ伯爵を乗せた船が難破して海岸に座礁する。海岸のそばにハワード博士の精神病院があり、博士の娘ルーシーと親友のミーナが逗留している。難破船の客と乗組員のなかで助かったのはドラキュラだけだった。ドラキュラはイギリスで荒れ果てた古城跡を買い取り、顧問弁護士を依頼していた。ロンドンからきた弁護士ジョナサン・ハーカーはルーシーの婚約者で、ハワード家やミーナとも家族同然の馴染みである。ハーカーは船長や乗組員の水死体にいちように首に狼に咬まれたような傷痕があるのにいぶかる。ドラキュラ伯爵を救出したミーナは、謎の衰弱状態に陥り、日に日に弱ってゆく。ルーシーやハワード博士の懸命な看護もむなしく、彼女は息をひきとる。ハーカーが司法手続きのため出張中、ルーシーはドラキュラの館に招かれ、あやかしの力でドラキュラに惹かれとりこまれてゆく・・・。連絡をうけミーナの父でハワードの旧友ヴァン・ヘルシング教授がアムステルダムから駆けつけた。ルーシーはすでに身も心もドラキュラのとりこになっていて・・・。
 あのローレンス・オリヴィエ卿がドラキュラハンター(笑)、ヘルシング役ででてくるのにびっくり(^^)。そういえば同年の映画「リトル・ロマンス」で、13才のダイアン・レインの可憐な恋を見守るペテン師役もなさってたっけ(^^)。・・・それはともかく、御年72才のオリヴィエ卿はやはりかっこよくて素敵です\(^o^)/。ドラキュラ役のフランク・ランジェラ、二枚目すぎてちっとも怖くない(>_<)、つまり女性向け映画かな?・・・しかしまあ、自分の顧問弁護士の彼女にちょっかいだしたあげく、退治されてしまうなんざあドラちゃんも間が抜けている(^_^メ)。父曰く、「他人(ひと)の彼女にちょっかい出せば、吸血鬼でなくたって退治されるだろうが(T_T)」んーごもっとも(>_<)。

フランク・ランジェラは舞台出身で、舞台劇で「ドラキュラ」はもちろん、「シャーロック・ホームズ」も当たり役の俳優さん。ホームズといえば、あの不世出のホームズ役者・ジェレミー・ブレットさまを連想する(^^)のだけど、ブレット氏もかつてドラキュラ伯爵を演じたことがあるらしい(^^)。「ドラキュラ」と「シャーロック・ホームズ」はまさに英国演劇の2大スターですね(●^o^●)。



日本海大海戦  69年 東宝

オールスター出演映画。列強による植民地簒奪の時代、日露戦争がまさに国家の命運を賭した大転機だった雰囲気がつたわってくる。軍関係者はむろんのこと、上は明治帝から下々は名もしれぬ漁師や漁師のおかみさんにいたるまで、勝利を祈り一心になっていたんだなとしみじみ思う。・・・だがこのときの精神主義?の名残がのちの太平洋戦争の敗因となったことが巧みにラストに匂わせてあるのには、どきりとした。
 旅順港封鎖作戦で奮戦し、惜しくも落命する広瀬中佐。国外にあっては諜報活動に暗躍する明石少佐、国内では早期停戦を画策する元老・伊藤博文。旅順陥落に多大の犠牲を出し、苦悩しつつも遂行する乃木将軍。乃木を激励に東郷大将が訪問するシーンは印象的だ。歴史的人物を演じるスターたち、この豪華なダブルキャストには悩殺されてしまう(^^)。仲代達の明石元次郎はクールかつスタイリッシュでむろんかっこいい。対する加山雄三。「若大将シリーズ」のおちゃらけキャラクターと同一人物と思えないほど(失礼!(>_<))「明治の軍神・広瀬中佐」になりきっているので驚いた。特筆すべきは、乃木大将に扮する笠智衆小津安二郎作品の常連であるさんがと、意外な役どころにびっくり(もっともキャリアの長い笠智衆氏のこと、戦時中の国策映画には軍人役で多数出演なさっているのだけど(^^))。しかも文人肌で、いかにも軍人向きでない乃木さんの雰囲気が良くでている。80年の東映「二百三高地」は名作だが、乃木大将のキャスティングのみに関していえば、仲代さんよりさんが適役だと思う。
 三船演じる主人公・東郷大将はもちろんかっこいい(^◇^)。肖像から脱け出てきたような東郷司令官だ\(^o^)/。強いてあらさがしすると、ずいぶん長身の東郷さんだなと思った。三船のサイズは存じ上げないけれど、なんとなく東郷元帥ってとっても小柄なかた・・・みたいな先入観があったりする(*_*)。
 特撮監督は円谷英二、この作品が惜しくも遺作となった。海戦シーンは美しい。美しい、なんていうと不適切かもしれないけれど、勇猛とか悲壮を通り越して叙情的にすら見える(@_@;)。絶景ですね(;_;)。円谷監督も戦争中から、多数の戦記ものにたずさわってらっしゃるんだなー(遠い目)(゜o゜)。

※日露戦争に興味を持たれたかた、この作品はおすすめです。乃木大将を中心に描いた東映の「二百三高地」(80年)と併せてごらんになると、得るところが大きいと思います<m(__)m>。



ひまわり 70年 イタリア

戦争の前に変転する運命、失った愛。普遍的なテーマをマルチェロ・マストロヤンニソフィア・ローレンの名コンビで、詩情豊かに描いた傑作。それにしても、戦争を背景にした恋愛ドラマって、多いですね。やはり戦争という極限状態のもとでは、愛も恋もいっそう刹那的になり、またそれゆえに美しく刻印されるのでしょう。・・・だからって、実際にはもちろん戦争は絶対にないほうがいいですが(*_*)・・・、平和なればこそ、したいことができるし、それぞれに夢を成就させることが出来るわけですから(^_^;)。・・・この映画は「泣ける」と聞いていたので冒頭のコミカルな展開は、あれ?と思いました。戦時下のナポリで出会ったマストロヤンニローレン。召集が決まっているマストロヤンニは「結婚すれば12日間休暇がとれる」と思いつき、ローレンと結婚するが、無情にも休暇は飛ぶように過ぎ、新婚のふたりは引き裂かれる。やがて戦争は終わり、夫の帰りを待ち続けるローレン、しかしロシア戦線で行軍中、力尽きて脱落したという夫のもと同僚の証言にうちのめされる。あきらめきれない彼女は夫の消息をもとめてソ連に旅立つ。戦後7年、スターリンが亡くなり、ソ連当局の西側諸国への態度も緩和のきざしをみせていた頃であった。奇跡のごとく、夫は生きていた、しかし・・・。
 ・・・個人的にあれ?だったのは、主役ふたりのスピード婚という設定。戦後何年も帰らぬひとを待ち続け、勇敢にもみずから夫を探しに行くほど彼を愛している・・・ということは、それにふさわしい幸福な結婚生活の年数に裏打ちされてるんだろうな・・・と勝手に思い込んでいたので、これは意外でした。もちろん愛の重みは必ずしも年数ではかれるものではないし、ストーリーの進行上そうなっていなければならないわけですが(*_*)。主演のふたりはさすがに名優ですね(^^)。・・・最初はキツそうでおっかない奥さんやなーと思って見ていたのですが(失礼(^_^;))、不安と期待、再会して天国から地獄へ、悲しみに泣き崩れるあたりから、そのきめ細かな演技にどんどんほだされて感動しました(;_;)。マストロヤンニのロシア人妻を演ずるリュドミラ・サヴェーリエワは実に可憐でういういしく、過去の奥さんと現在の奥さんに対照的な女性ふたりを配してあるのもうまいなあと思いました。
 ・・・ネット上でも何人ものかたが指摘していることですが、少女マンガの名作、大和和紀の「はいからさんが通る」のストーリー展開は本作とそっくりです(@_@;)。「はいからさん・・・」がハッピーエンドであるのに対し、こちらは悲しい終わり方ですが・・・先人の色んな作品に刺激されながら、一つの作品が完成するわけですね(^_^;)。←こればっかり(゜o゜)。
 ・・・夫がソ連の女性と結婚して小さな娘をもうけ、幸せな家庭を築いていることを知り失意のうちに帰国したローレン。一方、ローレンと一瞬再会して望郷と彼女への思いにふさぎこむマストロヤンニは、ついに一時帰国してローレンをさがしあてる。しかし、そのときはすでに彼女にも夫と子供の新しい生活があった。ベビーベッドから赤ちゃんを抱き上げてあやすマストロヤンニ

名前は?
アントニオ
・・・僕の名前を?
・・・聖アントニオよ
・・・(;O;)(;_;)・・・・。

お互いへの思いを残しながらも、別れてゆくふたり。
サヴェーリエワのもとへ帰ってゆくマストロヤンニを見送るローレン。悲しみをこらえ、かつての夫を見送った場所は、その昔、やはり戦地に赴く彼を涙で送り出したミラノ中央駅であった(;_;)/~~~

・・・子持ちおばさんである私としては、かつての夫が訪ねてきた晩、たまたま現在の夫が夜勤で留守・・・なんて都合よすぎる展開にみえたり、ラストシーンで独り彼を見送る彼女に赤ちゃんどうしたんだ!?おいてきて大丈夫なの?\(◎o◎)/!とよけいなこと考えないでもないですが、やはり感動します。

※オープニングとエンディングのマンシーニの素晴らしいメインテーマとかなしくも美しいひまわり畑の映像、これだけでも充分に泣けます(;_;)。ぜひお見逃しなく<m(__)m>。



鑓の権三  86年 松竹富士

近松門左衛門の名作を篠田正浩監督が忠実に映画化、しかも主役ふたりは岩下志麻郷ひろみ\(^o^)/(特にこのおふたりのファンというわけでもないのですが、このキャスティングは実にどんぴしゃりだと思う(^◇^))、ということでいやがうえにも高まる期待をもてあましながら見た(^^)。一回目はあまりに淡々とした様式美に「え?(゜o゜)」と思ったけど、二回目に見たときはさすがに佳品だなーと見直しました。
 美男の松江藩士・笹野権三・郷ひろみに三人の子を持つ人妻でありながら強い執着を燃やす茶の湯の師匠の内儀・おさい・岩下志麻。同僚の川側伴之丞・火野正平は権三に強いライバル意識を持ち、ことあるごとにイジワルをしかけるが歯がたたない。伴之丞の妹・お雪・田中美佐子はかねて権三に恋焦がれているのだが、この兄が障壁となりもどかしがっている。
・・・原作ではごくシンプルな悪役の伴之丞が、武芸遊芸どれひとつとってもかなわない権三への劣等感から激しく対抗心をいだくきめ細かな演技のために感情移入しやすく、敵役ながら同情できるキャラクターになっている。対してヒロインの岩下志がむしろ通り一遍に演じているのがやや物足りない。岩下志麻は鬼気せまるような情念を表現出来る稀有な女優さんだと思うので、もっと大げさなほどに若い美男への浅ましく狂おしい執着や嫉妬を押し出した演技をしてほしかった。もっともこれは、淡々と進行することでかえって観客にアピールするという、篠田監督の計算かもしれないけれど。
・・・おさいは自分自身の権三への恋心をカモフラージュするために、長女のお菊と権三を娶わせようと考える。半ば強制的にせまると権三はあっさり承諾した(^_^;)。喜ぶおさいは、一子相伝の茶の湯の極意を権三に伝授しよう、今夜ひそかに偲んでくるようにと告げる。権三をいったん帰したあと、いれかわりにお雪の乳母が訪問する。権三とお雪はすでに契りをかわした仲、祝言のためにぜひ、仲人をお願いしたいとの依頼。おさいは憤慨し、はげしく嫉妬にもだえる。・・・深夜約束どおり訪れた権三にむしゃぶりつくおさい。権三の帯を奪って庭に放り投げ、代わりに私の帯をしめなさいと自分の帯をほどいて権三に投げつける。・・・折り悪く、庭先に伴之丞がしのんでいた。艶っぽい師匠の奥方にたびたび言い寄っていたのだが、すきあらば強引に不義の関係を結んで茶の湯の極意の伝授をうけようと目論んでいたのである。ふたりの帯を拾い上げ、不義密通の証拠を得たりと叫んで走り去る伴之丞。・・・途方にくれるふたり、不義をおかしているわけでもないのに不義者として打たれるのは口惜しいからと、自害しようとする権三をおしとどめるおさい。どうせ死ぬべき命なら、おさいの夫の面目たてるためにも真の不義者になってともに討たれてくれと必死に哀願する(せっぱつまった場面ながら、全てを失ったのと引き換えに念願の男を手中におさめて内心ほくそえんでいるフシもあろうと思われる、しかし抑えた演技のためそこまで心にひびかないのが残念(T_T))。そしてふたりの絶望的な逃避行がはじまる。武家の妻女の姦通は死罪であり、女敵討ちといって相手の男ともども夫に討たれねばならない(妻を寝とられた夫も、そうしなければ世間に面目がたたない)。・・・現在ならいっときの気の迷いですむものが、まさに当時は命がけの色恋沙汰である。・・・おさいの弟は文箱から伴之丞の付文を見つけ出し、伴之丞を一刀のもとに斬り捨てる。「よくやった」とねぎらう老いた両親の哀れさ。・・・真に憎いのは不義密通を言いふらして娘おさいを手討ちにされねばならない不義者にした伴之丞であって、おさいを連れて逃げた権三ではない・・・近松お得意の「義理と人情のしがらみ」の悲しさが胸に迫る。主役ふたりはもちろんのこと、妻と権三を殺さざるを得ない夫も、両親も、子供たちも、兄と権三をいちどに失ったお雪も、みな不幸である。・・・ラストシーンで髪も着物もしどけなく乱れたお雪が狂乱の態でひとりとぼとぼと海辺を歩いてゆく「・・・鑓の権三は伊達者の、どうでも権三はいい男・・・」流行り歌をくちずさみながら。なんだかシェイクスピアの「ハムレット」の、オフェーリアの最期を思わせる。おさいの実家では、子供たちが悲しみをこらえ、黙々と茶をたてていた。

※残念だったのは、私個人に茶道の素養がまるきりないことです(*_*)。茶道にかかわったことのあるかたなら、この映画の楽しみは間違いなく倍になるでしょう、んー教養は大切ですね(^_^;)。